も住宅も水力発電さえ、外観は産業革命時代の面影をそのまま伝え、中身は近代的な技術とデザインを駆使して、新しい都市に蘇生させていた、ヨーロッパの都市再生のモデルを見にいったのだが、そのコミュニティのつくられ方、あり方のモデルについても学んだのであった。
IV.熟柿がおちるように
ニューラナークで見たものと同じ内容のコミュニティが、日本ではまだ成熟していないのは事実だろう、が、その芽生えの1つが阪神大震災のボランティア活動に見られた。これについては最終章で述べるとして、政治・行政の分野で、自立・自律社会へかなりの成熟を遂げている点を強調しておきたい。
法政大学教授・松下圭一氏は、94年に神奈川県が開いた「地方の時代・シンポジュウム」の中で、今回の分権を「熟柿型改革」と呼んだ私もその点については同じ考えを持っていて地域活性化研究所の出版物「地方分権読本」に書いた。“がんばる自治体”で先導行政を実験し、中央集権の柵を超えて意欲的なまちづくりに挑戦する自治体の実例をいくつかあげ、分権社会実現の条件が整ってきたと位置づけた。
今回の分権への高潮は、その政治的意義は、と問えば、コミュニティの成熟が持つウエイトはきわめて大きい。政治的意義といえば、その1つは、中央一地方の役割のあり方を変えるため、本丸・本陣へ直接に追ったことがあげられる。これまでの分権論議は、地方事務官とか、国の出先機関とか補助金行政とか、いくつかの側面で個別に対決して押し戻される場面の繰り返しであった。今回は国と地方の機能分担のあり方そのものに転換を迫った。中間報告が機関委任事務の理念・概念の廃止を真正面に揚げた歴史的な意味合いは測りしれない。
もう1つは、都道府県と市町村の二層制自治をそのままに、国−地方の関係を論じたことであり、いわゆる“受け皿論”を退けるという点での意味を持った。
そして政治的な意義として決定的だったのは政・官・財の癒着構造をつくりあげてきた55年体制が崩壊したことである。各政党がこぞって分権を重点政策に揚げ、平成6年に衆参両院で分権を決議するという動きとなってあらわれた。
戦後の地方分権への潮流は、中曽根行革に見られたような中央集権への実質的ゆり戻しが行われてきた、寄せては返す。何度も分権の動きは押し戻された。が、一方で政権側にも、竹下政権下のふるさと創成1億円施策など、4分権の方向と併走する流れもあった。最近の例。広域連合、中核市の構想を現実に移したり、市町村合併を住民の発意を重視した形で進める法をつくったり、また全国総合開発計画を総点検するなど、分権への基盤を整えるような施策も見られた。
V.参加から一歩進めて
これら地方分権推進委員会の中間報告の政治的意義は、別の視点からいえば分権化を可能とする「条件」と置きかえられなくもない。
その分権化社会への目的・理念について、中問報告は、繰り返し国と地方の関係を「上下・主従の関係」から「対等・協力の関係」への転換にあると述べている。私は、これをタテ型からヨコ型へ、タテ割り社会からヨコ結び社会へ、の文化革命であると考える。
第一に、国と地方の関係があらたまる。第二に、都道府県と市町村の関係も、府県から市町村への支援、代行、補完といった役割を担うヨコ結び・ヨコ並びの関係へと変わっていく。第三に、自治体の首長・行政府と議会の関係も、条例が重い意味を持つようになる。国の後見的役割が消えていくことから、本来のチェックアンドバランスの関係が要請されることになるだろう。
そして住民と自治体の関係。ヨコ結び、ヨコ並びといった形の文化を纏うことになっていくに違いない。これまでも自治体と住民の問には、住民参加と呼ばれる協力、ヨコ結びの関係が育てられてきた。しかし、これは、計画段階における意見表明、参加といった内容にとどまってきたのである。
いまや、住民も、(だからコミュニティも、計画段階を超えて、その行政の実行段階にも関わるという場面が多くなりつつある)都道府県や市町村に対する国の後見的な役割が消え、行政的にも、財政的にも強い自立が求められるからには当然の流れにちがいない。
中間報告でも、ボランティアとかNPOの活動が目立ってきた点を捉えた“公私協働”の必要性が強調されている。参加から協働へ。時代的な要請のあらわれと見たい。
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